はじめに
2019年5月28日、東京地裁である判決が出されていた。提訴した2013年10月から5年7ヶ月。それだけの歳月をかけたにもかかわらず、原告の請求を棄却した15秒の判決朗読だったと新聞に書かれていた。
そして提訴から10年以上も経た2023年5月26日、東京高裁は原告の控訴を棄却する判決を出した。日本のマスコミはほぼ報道をしなかったこともあり、ほとんどの日本人はこの裁判を知らない。それが、日本の植民地時代に徴用されて戦死し、靖国神社に合祀された韓国人の遺族27人が日本政府を被告として合祀取消しを求めている裁判である。
○靖国神社の存在は否定されている
靖国神社は、1869年に明治天皇の勅令によって建立された招魂社に起源を発し、国家のために殉難した人(英霊と呼ばれている)を祀る神社だ。それは天皇を頂点とする国家体制を前提としており、祀られているのは天皇と国家体制に殉じた人である。
しかし、敗戦により天皇を頂点とする国家体制は崩壊し、靖国神社はその存在が否定された(にもかかわらず、1978年には日本の侵略戦争を起こした責任があるA級戦犯14人が合祀され、これまでも首相や閣僚の参拝が公然と行われている。存在そのものの正当性を失った靖国神社が日本社会で今も公然と存在していること自体認められない)。
○原告の主張とその正当性
日本の敗戦によって国際法上違法な植民地支配は否定され、植民地時代に徴用され戦死した韓国人は、戦後補償を受ける権利だけでなく、遡って植民地時代に否定された韓国人として復活する権利も有している。つまり、韓国人に戻った方々が「靖国神社」に合祀され続ける法的根拠も理由もないということだ。合祀を取り消せという原告の主張は全く正当な主張だ。
この主張に対して「合祀行為および情報提供にあたり、法的保護の対象となる控訴人の権利または利益が侵害されたとは言えない」と棄却した東京高裁の判決は「現在まで、日本帝国主義の侵略戦争に強制的に動員され、悔しい思いで死んでいった犠牲者が侵略神社の靖国に戦争犯罪者らと共に合祀されているという事実は容認できない」と訴えている原告に対して、あまりにも歴史と原告の訴えを無視したものだ(判決全文PDF)。
○この裁判が問いかけているものは
1945年8月、日本が太平洋戦争で敗戦してから今年で78年。戦争を体験した人はほとんどいなくなった。そして日本が1910年から45年まで朝鮮半島を植民地支配していた時代の体験者もほとんどいない。「戦争を知らない子どもたち」の子どもが親になるくらいの長い時間が過ぎ、戦争と植民地支配の記憶と責任が継承されているとはいえない日本。そうであるにしても、韓国人犠牲者の「靖国神社合祀」の事実とその取り消しを求めて日本政府に対して訴えている裁判が行われていることについて、知らないで済まされるはずがない。なぜなら、植民地支配され、犠牲になった側の韓国では「靖国合祀」が続いていること自体、日本が植民地支配や戦争の誤りを未だ認めていないと考えているからだ。日本国憲法が施行されて76年、日本社会と個々人は、過去に真摯に向き合い国内、国外を問わず、その理念を実行してきたのかということを自らに問い続ける機会を逸してはならないと思う。
23.6.26靖国訴訟高裁判決データ(PDF)
(H.K.)