戦後78年。戦争の記憶、その継承の機会が少なりつつあると感じるのは、私の気のせいでしょうか。何もかも新型コロナウイルスのせいにするのは良くないですが、きっとその影響も少なからずあって、「戦後80年」に向けて「戦争を語り継ぐ」という文化、風土が社会の中でますます希薄になっているように思えてなりません。出版の世界でも、8月のこの時期に「戦争」に関する本を刊行する出版社や、「戦争」をテーマにしたブックフェアを展開する書店がかつてに比べて少なくなっているように感じています。
そのような中、先日、新宿の紀伊國屋書店で『戦争と平和を考える 関連書籍フェア2023』という意義ある取り組みを見かけました。2019年から毎年8月に開催しているブックフェアで、5回目となる今年は新宿本店、梅田本店、広島店、長崎店で展開しているようです。8月15日の終戦記念日にあわせて、8出版社が自選した戦争と平和を考える書籍を紹介するというのがコンセプトで、HNK出版、白泉社、国書刊行会、不二出版、高文研、人文書院、吉川弘文館、ブロンズ新社がそれぞれ1~2冊ずつ興味深い本をセレクトしていました。
その中で1冊、個人的にとても気になる1冊を見つけました。国書刊行会が今年の4月に刊行した千和裕之 [著] 『園井恵子 ― 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』という本です。園井恵子さんは戦前に実在し、原爆で亡くなったタカラジェンヌ。この本は、その園井さんの激動の生涯を描いた評伝です。宝塚少女歌劇で役に恵まれず苦労したものの、努力し続けて、退団後に戦中映画の名作『無法松の一生』でヒロインを演じ日本中を魅了した園井さん。高い演技力と気品ある美しさから将来を嘱望されていたそうです。しかし、国策にそぐわない劇団は次々に解散に追い込まれるなど演劇が戦争に翻弄されていく中、大空襲のあった東京から離れて巡演していた先の広島で被爆。被爆直後は奇跡的に無傷で、神戸の知人宅に身を寄せていたそうですが、原爆症の症状で急激に体調を崩し、終戦から6日後、志半ばで32歳の生涯を閉じることになります。8月15日に「これで思いっきりお芝居ができる」と目を輝かせたていたそうですが、その後の6日間で急激に衰弱し、高熱、皮下出血、下血といった放射線障害の症状で苦しみ壮絶な最期を遂げるあたりの場面は、涙なしには読むことができず、あらためて原爆の恐ろしさ、醜さを文字どおり“痛感”しました。
もうすぐ1945年8月15日から78年の時が経ちます。今でも宝塚の舞台を目指すことや映画の世界で成功することは容易なことではありませんが、少なくともこの国においては「戦争」でその夢が絶たれるということは“今は”ありません。しかし、園井さんのエピソードはどこか遠い国の架空のお話ではなく、実際にこの国でかつてあった事実です。私たちが享受している今のこの国の平和も主権者である自分たちの手でしっかりと守っていかないと、将来それが当たり前のように存在しているという確証はありません。今回この本と出合ったことで園井恵子さんの史実を初めて知りました。まだまだ知らない戦争の記憶はたくさんあるのだと実感しました。戦争の悲劇を伝承し、平和の尊さを次の世代に語り継いでいくためにも、自分から積極的に「継承される」経験をしていかなければと再認識した次第です。(H.O.)
千和裕之 著『園井恵子 ― 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』
国書刊行会、2023年