HuRP通信 2022/08/25
「みなさん、人助けしてますか?」
2022年6月27日朝日新聞(朝刊)より
少し前のこと、ある日新聞を開くとこんな記事が目に飛び込んできた。「世界人助け指数で日本は最下位」。
質問事項は3つ。この1か月で、①人助けをしましたか? ②ボランティアをしましたか? ③寄付をしましたか? その答えが右記の結果。対象は114の国・地域なので日本は最下位。しかもぶっちぎりで。この調査はイギリスにおいて行われたものだから、海外の人の目には「日本人って冷たい」と映っているかもしれない。
それに対しては、こんな考えもある。困った人に手を差し伸べることは当たり前のことだから、特別に「人を助けています」という意識はない。このような人ははたから見れば人助けをしているんだなあ、きっと。
あるいは意識して、積極的に人助けをしていても、恥ずかしいので「人助けをしている」とは言わない。これはこれでかっこいい。
やさしさって何だろう? ひと昔前は、分かりきったようなことにいちいちつまずき、「やさしい」という言葉も広辞苑で引いていた。現在の第7版では「優しい」とのみある(「易しい」は別立て)が、当時(第4版)は「優しい」とともに「恥しい」という漢字が同じ意味に用いられていて余計に戸惑った。意味のひとつに「さし向かうと恥じらうほど優美である」とあった。「優」と「恥」とは合わせ鏡のように表裏一体となっているのか。そうすると、恥ずかしいということでいえば、優越感を抱くことも劣等感を感ずることもどちらも同じだな、などというようなことを脱線しながら考えた。また、「やさしい」の意味に「周囲や相手に気をつかって控え目である。つつましい。」ともある。日本人に対して言われることがあるのはこのあたりだなと思った。
では現在の日本において、黙って人助けをしている者が果たして多数を占めているかというと、どうも心もとない。少なからず新型コロナウイルスの影響もあるだろうが、人助け指数が低い要因のひとつに格差社会も挙げられていた。相対的に貧困化しつつある今の日本で、他人のことをおもんぱかる余裕などない、と。コロナ禍の下、目指す社会像として一国の首相が「自助、共助、公助」とのたまったのも記憶に新しい。
確かに政治、経済、教育、報道の自由、ジェンダー……さまざまな局面で、日本のほころびが目立ちはじめている。にもかかわらず、いまだに先進国気取りの言論には気恥ずかしさを感じる。
だから、「私は人助けをしています」と声高に発するよりも、まずは目配り、気配り、思いやり……。身近でできることからはじめよう。かくいう私は、いつも周りのみなさんに助けられっぱなし。「心に借金」を背負わぬよう、少しでも恩返しできるよう努めている。
(手島祥午)