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憲法60年の軌跡を映像で検証!
― 平和ドキュメンタリー映画上映会 ―
第2回レポート 2007年8月29日(水)
上映作品:
「1960年6月 安保への怒り」(1960年、野田真吉・ 富沢幸男、44分)
「裁かれる自衛隊」(1967年、片桐直樹監督、28分)

 8月29日(水)、第2回の上映会に参加した。上映作品は上記の2本であるが、それらの前に、60年代のニュース映像を編集したフィルムが上映され、時代背景を知る一助となった。

  「1960年6月 安保への怒り」は、60年安保闘争の運動の記録である。「安保反対」「打倒岸内閣」を掲げたおびただしい人々のデモ、山となった署名用紙。国会に警官隊を入れ、条約を承認させまいと国会を取り巻いたデモ隊参加者の中から死者を出した日の模様。上映後、当時のことを語ってくれた参加者の声を紹介したい。


 当時大学生で、国鉄のストライキの応援に行ったという女性は、「周辺のお寿司屋さんなどが差し入れを持ってきて支援していました。あのように政府に抗う力を持った組合をつぶすために、政府は85年国鉄を解体し、続いて電電公社、郵便局と「民営化」した。その本質は庶民の横のつながりを切ることです。今、あそこに居た自分たちの声が小さかったのかと落胆しています」と語った。
  また、デモに参加したという男性は、「当時は貧しかった。デモは本当におなかがすいた、というのが記憶にに残っています。あの頃は強行採決が続いて、国会では誰も話し合おうという気がなかった、それは今とよく似ています」と語る。「新聞やラジオで連日さわがれていたので、勉強が手につきませんでした。地元の商店街が、(デモ・ストライキ等の支援に行ったため) シャッターを閉めていたという光景を覚えています」
とは、当時高校生だったという男性。
  そして、HPを見て参加したという、学生の声。「すごく運動が盛り上がった様子を見ると、別の世界のことのようです。あそこまでやっても変わらなかったのか、とも思うけれど、今はもっと別の形で、草の根的なこと等を考えていかなくてはいけないかなと思います」「断片的にしか見たことのなかった映像をまとめて観ることができました。現在でも、個人個人で行動を起こしている人はたくさんいるけれど、それがまとまって大きな力にはなっていかない。自分にできることをやりたいと思います」

 続く「裁かれる自衛隊」は、恵庭事件を追った記録映画である。北海道恵庭の酪農家である野崎さん一家は、自衛隊演習場で行われる砲撃訓練で心身ともに打撃を受け、また飼っている牛が乳を出さなくなり倒れてゆくという、まさに生活を滅茶苦茶にされていた。何度も抗議をして約束を取り付けては反故され続けるなか、息子二人が射撃場の通信線を切ったところ、自衛隊に告訴され、器物損壊の罪だったはずが自衛隊法違反で起訴。平和に生きる権利の侵害だということで、自衛隊の違憲性を問う裁判となる。審理中の63年に「三矢作戦」(*)が暴露されるということもあったが、判決は、二人を無罪としたものの、自衛隊の違憲性には触れず、憲法判断はなされなかった。
  野崎さんの娘が「牧場から離れ、札幌に疎開しなくてはいけなくなりました」と話すところが印象に残っている。まるで戦時中ではないか。一家がファインダーの向こうで訴えるのは、牧場と、家族のいる生活が壊される無念であり、それが胸を打つ。


 この2本の記録映画は、ともに、日本国憲法のある風景を伝えている。「安保への怒り」は、人々が団結し、この国に生きる当事者として政府にものを言うという、戦前〜戦中にはあり得なかった、日本国憲法下の風景である。「裁かれる自衛隊」は、生活を破壊されて苦しむ一家に、日本国憲法の理念との矛盾を読み取った人々が協力し、その憲法をたてにとって実際にたたかった記録なのだ。
  40年以上前、平和な生活を求める人々は、このようにして生きてきた。それを垣間見た私は、小さく安堵すると同時に、今平和な生活を求める自分は、それをどう表現したらよいのだろうかと考えている。

(A)

(*)第二次朝鮮戦争を想定し、アメリカが武力行使するにあたって自衛隊が協力するという具体的シミュレーションを自衛隊が独自に研究したもの

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